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2022.2.18

とっても嬉しかった教え子の話 PART2

enpitsu

天田 太郎

代表取締役社長、元お笑い芸人

米国・オハイオ州立大学経営学部国際経営学科卒。大学卒業後、テレビ番組制作会社に入社。映像ディレクターを目指すが、父が起業した当社の経営がバブル崩壊の景気後、悪化。経営を立て直すために転職し、不動産広告を中心とした事業の軌道修正に成功する。しかしその後、リーマンショックにより再び経営の危機に。そこで、これまでの不動産広告事業だけでなく、当時ブームになりつつあったマラソンをはじめとするスポーツをもうひとつの業務軸にするべく「東京マラソン」などの仕事を受注。以来、マラソンをはじめとするスポーツイベント運営などを通じ、地域と人をつなげる社会貢献活動も精力的に行っている。また、外部講師として企業の採用活動サポートなども手掛けるほか、広告・PRの視点での企業コンサルティング、企業ブランディング等を得意とし、大学では「自己ブランディング」というテーマで非常勤講師も行う。

なんと!前回の更新から10ヶ月も経ってしまいました。
「素直にI’m Sorry」です!(byチェッカーズ世代)

僕の会社は広告やWebの制作会社なので、
クライアント様には
「アクセス数を考えると、ブログの更新は
 できれば一週間に一度、最悪でも月に一度は、ぜひ!」
などと言っているというのに……。
自分が全然できていないという情けない状況であります。

ともかく、前回の更新が2021年の4月16日。

それからの日々、 新型コロナウィルス感染も2年目に突入し、
何度も来る緊急事態宣言。
売上も落ち、なかなか状況は良くならず、
お客様に最高の時間を過ごしてほしいと作った
「あまばる」という、おもてなし用のカウンターバーも
泣く泣く手放すこととなり、
昨年9月には事務所を引っ越しいたしました。

そんな昨年の9月のことです。

私の長男が20歳になりました。

子供の成長は早いですね。
あれからもう20年も経ったのかと思うと感慨深いですし、
本当にいろんな方々に可愛がっていただき
大人になりました。

と、ここまでは普通なのですが、
この息子が「20歳」になったことを巡り、
特筆に足るこんなことがありました。

 

太川(ふとかわ・仮名)!シュレック!
お前たちの話を書くぞ!
よく読めよ!

 

僕は某不動産デベロッパーで、就活の一環として、
「学生インターン」の講師をやっていました。

どういうことかよく分からない、
という方のために説明すると、
昨今の就活では、企業側は
自社に興味を持ってくれた人間に対し
履歴書という紙切れひとつ、
緊張を伴う面接での顔貌や受け答えだけで
合否を決定するのではなく
「インターン」という、
“お互いをよく知る期間”を設けているんです。

僕が「講師」として雇われた会社では、
僕が広告制作業だということもあり、
「この会社を紹介する冊子一冊を
 何班かに分かれて制作する」
というものでした。

当然、学生たちは、
インタビューをしたこともなければ、
取材をしたこともない、
もっと根本的なことをいえば、
冊子を作るにあたって
コンセプトを立てる、、、
なんていうことも知りません。

大雑把にいうと、そうした「軸」となる考え方や、
冊子を制作していく上での技術などをレクチャーした、
ということが僕の仕事になります。

 

そこでたくさんの教え子に会いました。

要領がよくすぐにリーダーシップをとれる子、
おバカだけど純粋で一生懸命な子、
熱いタイプなのにすぐに泣く子……。

日々追うごとに、十人十色の性格や
個性を見せてくれるようになり、
僕にとってはどいつもこいつも可愛い奴らでした。

 

今回登場するのは、
そんな教え子の中の
太川くんとシュレックです


この二人はそれぞれ名古屋、大阪の大学だったため、
インターンが終われば距離もあって、
疎遠になることも然り。

しかし、当時も、社会人になった今も
彼らは変わらず
「たろーさん、たろーさん」と懐っこく、
いつも気にかけてくれる子たちです。

僕の会社の飲み会に参加したり、
僕が仕事を請け負ったスポーツイベントでは
ボランティアとして参加してくれたり、
時には僕の家に泊まりに来て、
夜通し“恋バナ”を聞かせてくれたり。

僕の暮らしの中に、
土足でお邪魔してくる
パワフルな奴ら
なのです。

 

そんな太川くんのエピソードです。

「たろーさん、今、名古屋です。
 相談したいことがあるので
 新幹線に乗ります。
 これから泊まりに行って いいですか?」

しょうがなく(笑)僕は受け入れ、手料理と、
僕が大好きな洋酒・メイカーズマークを
振る舞いながら、
その当時お付き合いしていた
女の子との恋愛相談を聞きます。

「付き合っていた彼女に、
 別の男がいたんです!!!」

と号泣する彼のお父さんと僕は同い年。
そんな父親のような僕が恋の相談に乗ります。

一方、シュレックもシュレックで、
僕が大事にちびちびと飲んでいるメイカーズマークを、
「酔えればいいや」ぐらいの勢いで飲み干すと、

「好きな子が出来ました!
 同棲したいんですけど、
 許可を出してください!」
とお願いしてくる。

「俺はお前の親じゃねえ!」

「いや、たろーさんは
 僕の東京のおとんやん!」

と言い張る可愛い奴です。

そんな二人と僕の長男が出会ったのは、
当時運営の協力をしていた東北のマラソン大会の
ボランティアスタッフでのことです。

当時、中学生だった長男も連れて行くと
弟のように可愛がってくれ、
兄という存在のいない長男は、
「僕もあんな大学生になりたい!」
 と慕ったものです。

その長男が20歳の誕生日を迎えると、
太川くんからこんなLINEがきました。

「たろーさん、長男、お借りします」


え、どういうこと?

最初は意味がわかりませんでした。
続いての説明で

「あいつやっと20歳になったので、
 酒と飯、ご馳走してきます」


僕は泣きそうになりました。

「だって、僕が東京にきて、
 メイカーズマークの美味しさを
 教えてくれたのは、
 たろーさんです。
 だから僕も
 (息子名)に同じことをします!」


あとで知ったことですが、
太川くんは長男が大好きな点心を
食べに連れて行ってくれたそうです。
長男もそれはそれは嬉しかったことでしょう。
感謝を伝えても足りないぐらいです。

先に生きている者が、
持ち金も少ない若者の腹を満たしてやり、
子供染みたことだとわかっていても
その時の精一杯の思いを吐き出す場を作ってやる。

それを教えるつもりでやったわけではないのですが、
そこで何かを感じ、どこかありがたく思ってくれ、
男らしく成長した若者が息子に
“男”を教えてくれる優しき兄ちゃんに。
嬉しい事じゃありませんか。

と、ここでお気づきかもしれませんが、
「この話、太川くんとシュレックが
 主役なんじゃないの?」
とお思いのことでしょう(笑)

実はシュレック、
その食事会の終わり頃に顔を出し、
テーブルにあった残り物を食べきると、
「じゃ!」と去って行ったそうです。

なんだよ、愛がねーなー


そう思いますよね?
当然僕もそう思いました。

しかし、そんなシュレックは、
僕の誕生日には毎年必ず
プレゼントを持って駆けつけてくれるんです。

送る、んじゃなく、
持ってきて、くれるんです


「たろーさん、
 お誕生日おめでとうございます」


社会人になった彼が手にしていたのは、
僕が何度もご馳走した、あの
メイカーズマークでした。

それぞれが、それぞれのやり方で心をくれる。

息子ほど年の離れた僕の親友たちとの、
宝物の話をここで披露させていただきました。

 

おい、太川!シュレック!
お前ら今度いつ
飯食いに行くんだよ。
金と体調を万端にして 待ってるぞ。

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