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2020.12.1

第5話「天田太郎です。名刺代わりに話します。引続き、続き」

enpitsu

天田 太郎

代表取締役社長、元お笑い芸人

米国・オハイオ州立大学経営学部国際経営学科卒。大学卒業後、テレビ番組制作会社に入社。映像ディレクターを目指すが、父が起業した当社の経営がバブル崩壊の景気後、悪化。経営を立て直すために転職し、不動産広告を中心とした事業の軌道修正に成功する。しかしその後、リーマンショックにより再び経営の危機に。そこで、これまでの不動産広告事業だけでなく、当時ブームになりつつあったマラソンをはじめとするスポーツをもうひとつの業務軸にするべく「東京マラソン」などの仕事を受注。以来、マラソンをはじめとするスポーツイベント運営などを通じ、地域と人をつなげる社会貢献活動も精力的に行っている。また、外部講師として企業の採用活動サポートなども手掛けるほか、広告・PRの視点での企業コンサルティング、企業ブランディング等を得意とし、大学では「自己ブランディング」というテーマで非常勤講師も行う。

天田太郎、33歳。
父から突然の社長引退宣言を受け、
僕の社長人生が始まりました

 

父名義での会社の借金はすべて返済し、
母が泣いて懇願した担保に入っている家も解決。

あとは、
社長となったこの僕が
この会社をどうするのかにかかっているのみ。

しかし!
僕はすでに燃え尽きていました

 

ビジョンを持って経営をしていかなければいけないというのに、
僕は燃え尽きていました。

もがき続け、
走り続けた。

借金も返済し、
父も母も安心させた。

 

そして、燃え尽きてました。

売上のこと、
社員のこと、
みんなをハッピーにすること。

とはいえ、
俺の好きなこと、
好きなように、
会社を切り盛りするって
なんだ?

 

悩みました。
本当に悩みました。
しかし、悩んでばっかりいても仕方ありません。

その行動の第一歩に選んだのが、

そうだ
富士
登ろう。

でした

 

日本一高い山に登れば、なにかヒントが見つかるはずだ。
そこでご来光を見よう。
そうすれば、人生変わるんじゃないか?

で、登りました。
当時、お世話になっていたクライアントのみなさまと一緒に。

待ち受けていたのは、美しい夕焼け。
「影富士」とよばれ、富士山がシルエット(影)となって雲海や下界の地表に浮かぶ姿を見ました。

そして、待ちに待ったご来光。
有り難い気持ちで思わず拝んでしまいました。

 

しかし、それでもまだ、答えは見つかりませんでした。
当然です、経営など、そんな簡単なものではないのです。

また悩みました。

そこで今度は、ホノルルへ飛びました。
42.5kmを、走りきってみたかったのです。

走っている間中ずっと、この先の経営のことを考えてました。
5時間後に無事ゴール。

それでも、答えはみつけられないままでした。

 

こうなったらもう、カッコつけず、
シンプルに自分が好きなこと、
幼き頃から思い描いた夢、
僕が得意としていることをやっていこうかなと
自分を見つめ直しました。

その時です。
現在、弊社副社長の浅井ユキコが、

「太郎さんって、
 人を喜ばせることが
 本当に大好きだよね。

 だったらさ、
 お笑いの学校に行ってみたら?」

 

と言ったのです。

そうなんです。

料理を作ってもてなしたり、
話題の中心になって笑わせたり、
結婚式の司会や演出をやったり、
どれも頼まれたわけでもなく、
自分から率先してやっていることです。

そう、
喜んでもらえることが好きなんです

 

そうか。
お笑いをやってみよう。

お笑いなら人を喜ばすことができる。
そう決めました。

35歳のことです。

 

その転機をくれたのは
副社長、浅井ユキコ登場です。

「太郎さん、
 見つけといたよ、お笑い学校。
 よしもとは昼間の授業で無理だから、
 ホリプロの週2回の夜に行ってね」

 

これで決心がつきました。

売れようが売れまいが、挑戦してみよう。
お笑いの学校へ行こう。

そこで、僕はある人に電話をしました。

当時の不動産会社のクライアント様、
僕の元相方です。

なぜかと言うと、
昔、接待をしていたとき、
「僕はいつかお笑いをやってみたいと思っていたんですよね」
と彼に告げると、
「俺もやりたい。その時は絶対に声をかえてくれよな」

と言われていたからです。
お相手はお客様です。

口約束でも義理堅く守るのがポリシーです。

「僕、ホリプロのお笑い学校、受けてみようと思います。
 ダメかもしれませんけど、挑戦してみます。
 やるときは声をかけるって約束したので、お声がけしました」

と伝えると、
「それなら俺も行く。俺も受ける」

とおっしゃったのです。

というわけで、
二人で「ホリプロ笑売塾」という養成学校を受験することになりました。

願書を書いているときに、
副社長、浅井ユキコの提案がありました。

彼女はコピーライター、雑誌の編集、そして放送作家です。

「二人共いいおじさんなんだから、
 普通に自己アピールしてもだめ。
 ものすごい面白い写真を撮って出しましょう」

そこで本職のノウハウが活きてきます。
いつも世話になっているカメラマンに
撮影して欲しいイメージを伝え、
さらにそれを加工してもらい、仕上げていきました。

それがこのブログにのってる写真です。

こうして、願書を出した結果、面接試験へ。

二人で面接へ行くと、
ホリプロ笑売塾の塾長さんが、

「君たちのようなサラリーマンが
 これからの日本には必要だと思います。
 だから、お二人の希望に合わせて週2日のプログラムを決めよう。
 何曜日がいい?」

とおっしゃってくださいました。

僕ら社会人は月曜日は忙しいので、
水曜日と金曜日でお願いをし、
入学が決定したのです。

さあ、そこから
二足のわらじで
社会人人生の再スタートです。

ここからは次の第6話でお話しましょう

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